Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

はじめまして、ずるずると大学院生をやっています

いきなりだが、今日は疲れている。ゼミのある日はいつもそうだ。始まる前からいろいろなことを考えてしまって疲弊する。肩にじんじんと存在を主張する澱のようなものがある。数時間もすれば首から頭へと痛みが伝わることだろう。ゼミという場所に存在するのが辛い。何も発言すべきことをもたずに教室に数時間拘束されることがたまらなくいやだ。
だが、いやだいやだと書き連ねていてもゼミの時間はいずれやってくるし、何も生み出さない。腹痛が増すだけだ。

 

私は文系の大学院修士課程に在籍している学生だ。適応診断と5月ごろに診断された。学部時代とは違う大学院に進学し、うまくやらねばと気負い過ぎていた。元々社交下手で、人付き合いがうまくないことは22年も生きてきて分かっていたのだが、新しい街での暮らしで、学部からの友人は生活圏内にはほとんどいなかったので、一応新入生歓迎会も参加して、友人づくりもがんばったつもりだった。だが、すぐに歯車は噛み合わなくなった。見知らぬ人との交流に神経をすり減らし、研究室の人々のレベルの高さに打ちのめされ、ゼミでもまともに発言できない自分を受け入れられなかった。毎日大学に向かおうとすると足がすくんで、家に帰るとベッドに転がるほか何もできなくなり、更に眠れなくなった。授業中に訳なく涙が込み上げてきた。
健康診断で4キロ減った体重に背中を押されるように、精神科を受診したのは6月ごろだ。睡眠薬が処方され、とりあえずは眠れるようになったが、無気力やできない自分への絶望感は変わらなかった。休学しようと思ったし、親や指導教官にも相談した。だが、できなかった。立ち止まるのが怖かったからだ。一度休学すれば二度と復学できなくなるだろうと思った。折角努力して入った大学院を退学してしまった自分に明るい将来があるとは思えなかった。だから、結局数週間休んだ後に復帰した。
とはいえ、このままやり切れる自信はまったくない。立ち止まることも怖ければ、前に向かうことも怖い。休学を検討した6月ごろから数か月が立つが、未だにゼミの前になると思い詰め、こんな文章をくだくだと書きつけてしまう自分だ。夏休みが終わると、さらに頭痛と腹痛も追加された。そして、いざゼミがはじまると何もしゃべれない地蔵になり果てる。

 

このブログは、特に大志も抱かずに学部とは違う文系大学院に進学してしまった学生が、立ち止まることも進むこともできずに苦しむ様をリアルタイムで書き連ねるものだ。同じく適応障害に悩む人と出会えればうれしいし、これから他大学の院への進学を検討している文系学部生の進路選択の一助になれば幸いだ(暗すぎて、「思いとどまれよ!!」と全力で主張しているように見えるものになってしまうかもしれないが)。だが、何よりも自分のために書きつけている。書くことで、自分の置かれている状況を客観的に見ることができるように。へばりついた辛さを一度自分から引き剥がして、シャーレにぽんと置いて観察できるように。

初回からやたらと暗くなってしまったが、このブログでは読書や編み物のことなど、趣味のこともちまちまと書いていくつもりだ。つらつら独りよがりに書くだけだけれど、もし読んでくれる方がいるのなら嬉しい。