永青文庫「仙厓ワールド ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―」
永青文庫「仙厓ワールド ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―」(5/21-7/18)の後期展示に行ってきました。
ゆるゆる禅画ワールド・仙厓
ゆるい描線ととぼけた画題で知られる江戸時代後期の禅僧・仙厓義梵。
『人形売り図』(19世紀・仙厓義梵 参照元:永青文庫美術館)
あまりの揮毫依頼の多さに辟易し、「絶筆」と書いた石碑を建てて引退宣言したものの、それを知った人々の駆け込み需要で依頼はますます増え、しまいにはその「絶筆」碑を絵に描いて渡すというエピソードが愉快です。
(『絶筆の碑図』は前期展示のみだったらしく見られず無念……前後期でかなり入れ替えがあったみたいなので、前期で行かれた方は後期もリピートされるとさらに楽しめるのではないでしょうか……!)
キャプションで語られる禅僧エピソード
全作品に用意されたキャプションでは解説+作中の文の翻刻で大変丁寧かつ、制作年代と一緒に仙厓の年齢も示されていたので、彼がその時々何を思ってこの作品を描いたのか、という想像のきっかけとなる工夫だなと感じました。
そしてキャプションで紹介される、作品の画題となった禅僧のエピソードも人間臭くて魅力的です。
数十年にわたり京都の橋の下に住んでいたという大燈国師(こちらに鼻水をかっ飛ばしてくる表情が最高)、猫のことでもめた弟子を見かねて、その猫をひっつかみ刃物を持って「一句言え、さもなくば斬る」と言い、弟子たちは答えられず本当に斬ってしまう南泉(の絵を描いた仙厓は「南泉も斬られてしまえ」と書いているそうですが)などなど……
展覧会には仙厓の兄弟子にあたる誠拙周樗、「禅画といえばあの人」な白隠の作品も出品されていました。
おそらく当時は多くの禅僧が禅宗の教えを伝えるべく自ら筆を執ったのだろうと思いますが、そういえば描かれた禅画がどのように人の目に触れたのか、自分は全く知らないなあと気づかされました。絵解きのように描いた絵を民衆に見せながら教えを説く、みたいなことが行われていたのでしょうか? また、仙厓が本格的に絵画を学び始めたのは40代後半とのことですが、それはどのような方法だったのか(絵手本のようなものを写すとか?)も気になります。そもそも禅宗への知識自体もあまりないので、併せて勉強したいテーマですね……
(そもぞも禅画という語が戦後使われ始めた用語であり、ドイツの美術史家クルト・ブラッシュ氏が提唱したものということが展示で紹介されており、今回初めて知りました。欧州での禅画展も行ったそうですが、当時欧州ではどのような反応があったのかも気になるところ)
表具の魅力
そして、どの作品も表具が美しかったです。細やかな植物の文様が織り込まれた布や翡翠のような色の布がふんだんに使われていました。
特に白隠の『布袋図』、青地に白いかすれが全面を覆う布地が使用され(貧困な語彙力で無理やりたとえるならダメージジーンズのような)、にたりと笑う布袋の表情と相まって反骨的な雰囲気があって印象的でした。
(2012年のBunkamura美術館「白隠」展のPR動画の1:55あたり、左側に表具込みでちらっと映ってます。ちょっと、いや、かなり分かりにくいですが……)
永青文庫のものは収蔵時に表具を仕立て直したりしているのでしょうか? どれも本当に美しいものでしたが、美術書や図録には表具はほとんど入らないので美術館ならではの醍醐味ですね。各布地の文様もきっと意味あって構成されているものだと思うので、こちらもきちんと勉強したいなと常々思うところです。
永青文庫は展示室自体のしつらえも美
また、永青文庫には今回初めて行ったのですが、4F~2Fそれぞれに異なる展示空間がとてもよかったです。特に4Fは展示ケースの下部に立派な長持が置かれており、武家の蔵にお邪魔させてもらった気分になりました……宝探し感というか。
また、3Fと2Fも飴色に光るどっしりした木製の什器が利用されており、永青文庫の建物がかつて旧細川侯爵家の事務所として利用されていたころから使われていたものなのかなと妄想を膨らませてしまいました(キャプション等特に無かったので想像でしかないですが……)。
3F展示室(参照先 永青文庫美術館)
永青文庫然り、大山崎山荘美術館とか、東京都庭園美術館とか、かつて邸宅だった建物が美術館になっているところって中を歩いているだけで家具や壁紙の美しさに目を奪われて本当に楽しいですよね……
秋に永青文庫で漆芸の展示(「永青文庫漆芸コレクション かがやきの名品」展 10/8~12/11)もやるらしいので絶対行きたい……!!