Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」@森美術館展

六本木・森美術館「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展に行ってきました。



 

 

www.mori.art.museum

 

展覧会タイトルでもある「地球が回る音を聴く」は、オノ・ヨーコのインストラクション・アート、「グレープフルーツ」からの引用です。

「部屋の音を聴く」、「カンバスに見えないくらいの小さな穴をあけ、そこから部屋を覗く」など、できなくはない(そもそも不可能なものもありますが)が実際にはやらないであろう指示がタイプ打ちされて額縁に入っている、普段私たちが一顧だにしないことを足を止めて感じる事を求める作品です。

オノ・ヨーコ「地球の曲」1963展覧会公式サイトより引用)

 

 

展示には16名の作家による様々なメディアの作品(絵画、彫刻、映像、写真、インスタレーション……)が集められており、何らかの行為を日々積み重ねて形を成していったものが数多くあります。

 

例えば、展覧会のメインビジュアルにもなっている、ヴォルフガング・ライプによる「花粉のインスタレーション」。


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ヴォルフガング・ライプ(Wolfgang Laib)「花粉のインスタレーション」(筆者撮影)

 

年に瓶の半分から1本ほどしか採れないというヘーゼルナッツの花粉を毎年採集し、床に敷き詰めた作品。展示室に入ると、私たちが普段嗅ぎ慣れているヘーゼルナッツの実をより甘くしたような香りが充満していました。

コロナ禍によってどこかへ出かけていくことが難しくなったのはもちろん、そこへ出かけたとしても人やモノと直接接触するハードルが高くなった中で、香りこそが最も「今そこにいること」を実感させてくれる感覚となったのかもしれません(それすらもマスク越しだとしても)。

 

それから、ギド・ファン・デア・ウェルヴェによる「第9番 世界と一緒に回らなかった日」。

一人の男(ウェルヴェ本人)が北極点に一日中立ち尽くし、刻々と動く太陽と反対にその場を回転していく、という様子をタイムラプスで撮影した映像作品です。

 

ギド・ファン・デア・ウェルヴェ(Guido van der Werve)「第9番 世界と一緒に回らなかった日」2007(展覧会公式サイトより引用)

 

この作品を観るのは私にとって二度目です。

最初に観たのは学生時代に観光で訪れたルクセンブルク現代美術館(MUDAM)。

当時、全然フランス語ができないのにフランスでの1か月間の職場体験プログラムに応募し(なぜか合格し)、当然ながら周囲となじめず、休日は理由をつけて当時滞在していた町の周辺に足を延ばしてなるべく同じプログラムの参加者と顔を合わせないようにするという体たらく。ルクセンブルクもそんな理由で足を伸ばした街の一つでした。(フランスの東側国境にほど近い街だったので、ルクセンブルクにも日帰りで行けたのです。)

しかし、当時は海外の美術館に行くともちろん日本語のキャプションなどなく、(仏語よりはまだ分かる)英語のキャプションをどうにか読んで理解しようとするのですが、現代美術は特に抽象的な内容で追いつけず、ある作品を観てキャプションを読んでもよくわからず、次の作品を観ても未消化の英文が頭の中をぐるぐるしている……という悪循環に陥り、作品を観るというか、だだっ広い館内をさまよっている状態でした。

(ほんと美術史も語学も勉強していけよという感じですが……)

その中で、「第9番 世界と一緒に回らなかった日」は文字での説明をそこまで必要としない視覚的な分かりやすさでまず目を惹かれ、太陽が昇って降りるまでの間、微動だにしない雪原の中で、少しずつ向きを変えていく男の小ささに、なんとなく自分を重ねてじっと観ていたのを思い出します。

 

他にも彼はただ家の周りを100キロ超えるまで何周も走り続けるとか、自宅のベッドに何千回も倒れ込むという反復を繰り返し続ける映像作品を制作しています。できるかもしれないけどわざわざやらなかろうという行為を本当にやる、オノ・ヨーコの「グレープフルーツ」のインストラクションの実践者とも言える作家かもしれません。

一方で、ある作品にはエベレストを登ろうとしたが、体を慣らすためにやや低い山(それでも6000m級ですが)に登った時に高山病になったので断念し、ではエベレストの標高分はしごを登ろうと思ったがそれも脚部の極度の疲労により諦め……という文章も綴られており、なんだか励まされるなあと思うこともありました。

 

 

他にも、夜ごとカード状の作品を描き続けたロベール・クートラス(※)、広告を希釈したボンドで何層も積み重ねた金崎将司などなど、多くの作家がそれぞれに積み重ねた作品が数多く展示されています。

ロベール・クートラス(Robert Coutelas)「僕の夜のコンポジションリザーブカルト)」1970(展覧会公式サイトより引用)

 

数々のバリエーションを眺めていると、自分と自分以外のチューニングを合わせるような作業は恐らく誰でもがそれぞれのやり方ででき得るもので、それらごく私的な作業のひとかけらが、たまたま美術として掬い上げられて今ここにあるという実感が湧きます。同時に、自分にとってのそれは何なのか?/たまたま掬い上げられなかった行為は消えてしまうのか?などなど、「いろんな人がいろいろやっているなあ」で立ち止まらずにもっと問いを掘り返していかねばな、と強く思います。

 

展覧会情報

会期:2022.6.29(水)~ 11.6(日) 会期中無休

開館時間:10:00~22:00(最終入館 21:30)
      ※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)

会場:森美術館

地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング | 森美術館 - MORI ART MUSEUM

 

 

※クートラスの作品集『僕の夜』について、作家の津村記久子さんが『枕元の本棚』という著作の中で紹介しています。クートラスの作品の印象を描写した文章それ自体がとても美しく、自分もいつかこう書ければ……といつも憧れてしまいます。

床につく前の思い出し笑いのような、寝入りばなの夢のようなカルト*の絵には、闇を一啜りずつ味わうような密やかな趣がある。
津村記久子『枕元の本棚』「第四章 眺めるための本」2019, 実業之日本社, 電子版)

*仏語のcarte。トランプ大のカードのこと

www.j-n.co.jp