Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

「菩薩立像」——東京国立博物館・常設展

こんばんは。今日は日本で一番最初に開館し、膨大なコレクションを抱える東京国立博物館に収蔵されている私の推し仏、「菩薩立像」についてつらつら書きたいと思います。

 

「菩薩立像」

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(https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=C20&t=より)

(木造、金泥塗り・彩色・切金、玉眼、高104.5cm、台座高34.8cm、鎌倉時代・13世紀
東京国立博物館蔵、重要文化財)

やや小ぶりなサイズ感と、その端正な顔立ちと豪奢な装飾品、繊細な切金文様がはっきりと残る衣が相まって、とても上品で美しい仏像だ。なによりも、目と唇の部分に水晶を嵌め込み、つやりと光る様が高貴さの中に一種なまめかしさのようなものを与えている。

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(菩薩立像 - e国宝より。唇の輝きがよくわかる)

目に水晶を嵌め込む「玉眼」技法は、平安末期ごろからみられ、鎌倉時代によく用いた技法だが、唇にも水晶を嵌め込む「玉唇」技法はほかにほとんど作例がないという。これらの技法は仏像があたかも生きてそこにいるかのように見せるための技法だ。博物館の照明の下で見た時も、もちろん生きた人間を前にするような生々しさを感じるけれど、暗い寺の中、蝋燭の灯りのもとで見たらもっと迫力が増すのかもしれない。

また、宝冠部分の正面中央の窓のようになっているところから本来みえるはずの標幟(ひょうじ)が失われているために正式な名前がわからず、伝来も不明だが、手元にある山本勉『別冊太陽 仏像』(2013年)によればおそらく弥勒菩薩像で、13世紀に奈良で活躍した慶派の仏師、善円(1197-1258)の作品ではないかということだ。(筆者がこの作品と対だったのではないかと指摘している伝香寺裸形地蔵菩薩像もぜひ見てみたい。)

 

学部2年生の頃、夏休みに二泊三日ほどで東京美術館行脚をしているときにはじめてこの像を目にした時のことは忘れられない。唇のうっすらとした輝きに私は魅入られたのだった。こうした艶めいた、色っぽい表現が、仏像の荘厳さをさらに高めるような印象を与えるのが不思議に思えて仕方がなかった。

 

それからも機会がある度に必ず常設の仏像展示室だけは覗いていたのだが、なかなか展示されていることがなく早数年。今日、「マルセル・デュシャンと日本美術展」と「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ展」を見に来たついでにいつものように仏像の展示室に足を向けると、なんと一番初めの出入り口のところでこの仏像に迎えられたのだった。今日一番の幸せだ(展覧会の感想はまたいずれどこかで書きたい)。

数年前の記憶よりも小柄な印象を受けたが(受けた衝撃の補正効果だろうか)、高貴さは記憶のものと変わらない。この唇の輝きはてらてらとしたものではなく、像を仰ぎ見た瞬間にちらりと一瞬垣間見えるもので、写真で見るのとまったく印象が違うので、ぜひ実際に足を運んでいただけたらうれしい。2019/1/20まで東京国立博物館の本館11室で展示中だそうだ。

www.tnm.jp