Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

適応障害:発症の経緯

一度、自分の状態を振り返っておきたい。私は2018年6月に適応障害と診断され、今日もその症状は続いている。

適応障害とは、ある特定の状況や出来事が耐えがたく感じられ、そのことが情緒面や行動面に症状を引き起こす状態だ。症状はうつ病と似ているが、違う点は、その特定の状況や出来事から距離を取ることができると症状が改善されることである。

(参考:適応障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省)

 

学部とは違う大学院に進学。期待の新生活、しかし……

 今年の3月まで、私はある地方都市の大学で美術史を専攻する大学生だったが、4月に上京し、学部の頃通っていた大学とは別の大学の院に進学した。大きな理由としては、

修士課程でやりたい内容が学部時代の専攻とは少しずれていたが、進学先の院は学際的な専攻だったので、自分の目指すものによりフィットしている気がした。

・高校生から大学生まで美術一色で、専門的な内容ばかりを学んでいたので、総合大学で色々な学問に触れたかった。

・学部の大学の知名度<進学先の大学の知名度なので就職に有利ではないかと思った。

……などが挙げられる。1つ目はともかく、他のものは正直いって浅はかだ (4月の新入生交流会で他専攻の院生に美術史を地方大学で専攻していたと言ったら「学歴ロンダリングですね」と面と向かって揶揄されたのもやむなしという感じである。)

もし、現在学部3,4年生で他大学の院進を迷っている方がいれば、自分の中に3つ目のような思いがあれば考え直した方がいい。実際のところはどうなのかは分からないが、これだけの理由で他大学の院という慣れない環境を生き抜くのはわりにハードだ。

 

ともかく、私は他大学の院に進学し、新生活をスタートした。はじめのうちは色々な授業をとってみたり、学内で開催されるセミナーに顔を出してみたりと精力的に動いていた。他専攻の授業で、文学に関するものが大変面白く、翻訳という分野に興味をもったりもしたし、この時期はなかなかに充実していたと思う。

 

授業に萎縮し、不眠がちになる

 とはいえ、すぐに自分の力不足を知ることになった。大学院生ということで、いくつかのゼミに所属することになる。そしてゼミは、学部生の講義とは違って学生同士のディスカッションが主体だ。

院生向けの授業がゼミ中心になるのは大変当たり前のことだし、多くの大学生は3、4年でゼミを受けていると思う。私も学部3年生ではゼミを掛け持ちして、それなりに頑張っていたつもりだった。しかし、私のいた学部と、進学先の大学院はかなり校風が違った。

今にして思えば、私の学部では、ゼミのかじ取りをするのは主に先生で、学生が自分から発言することはあまりなかった。

しかし、進学先の院では、学生こそがゼミの進行を取り仕切り、積極的に発言するし、ディスカッションの経験も豊かな人がはるかに多かった。また、先生も学生のサポートというよりはあえて挑発的な発言をして、学生がそれに食いついてくるよう指導する傾向があった。

 

要するに進学先の院の方が求められるレベルが高くて先生も厳しく、そして私はそういう環境を望んでここに来たはずなのに、そのレベルに背伸びしてついていくことすら叶わなかった。ゼミの間、口を開けば自分がいかに稚拙な意見しか持っていないか突きつけられたし、少し学生や先生に突っ込まれても「ご指摘ありがとうございます」しか返す言葉はなかった。段々と、発言どころか講義室に行くことすらも辛くなっていった。

 

そして、5月ごろから夜の2,3時まで眠れず、朝登校する気力が段々となくなっていった。また、いつも自分がいかに役立たずでまわりについていけていないか、ということばかりを考えるようになり、食欲も消えていった。

 

6月ごろに学内カウンセリングと精神科を受診し、デパスを処方されるようになったものの、自分を責める気持ちや課題への無気力感は消えなかった。

 

休学を検討したけれど……

 そんなこんなで、6月中旬、私は指導教官に「休学したい」と相談をもちかけた。無気力感は日に日にひどくなっていて、少なくとも学部の間は熱意をもって取り組んでいたはずの美術にも興味が持てなくなっていた。こんな状況では何もできない、と思っていた。とにかく疲れた、休みたいと。

しかし、結局私はこの時休学を撤回し、大学院に通い続けることにした。指導教官に反対された訳ではない。ただ、今休んだら、もう二度と院に戻ることができなくなるような気がしたのだ。前期・後期を通じて1年間開講されるゼミが必修だったのも大きかった。仮に後期から休学しても、来年の4月には再び戻ってきて、来年の新入生にまざってもう一度同じことを繰り返さなければいけない。それまでに状況がよくなっているとも思えなかった。

それに、このまま退学したら「院中退」のハンデを負って就活することになる。学部時代ほとんど就活してこなかった自分にとっては、それはとてつもなく恐ろしいことに思えた。

結局、「辞めるのにも覚悟がいる」ということに怖気づいて、判断を先延ばしにしたと言えるだろう。私は履修登録した授業の半数以上を放棄して、必要最低限の単位だけをとることに専念して前期を終えた。

 

後期から症状に腹痛が追加

そして、とにかく休むことに徹した夏休みを終えて後期に入ると、身体が腹痛を訴えるようになっていた。へそのあたりを刺すような痛みが、ひどい時では30分ごとにやってくる。さすがに何かの異常ではと思って内科に行ったが、エコー検査ではなにも異常が見つからなかった(むしろ「きれいな内臓ですね」とほめられた)。

また、ゼミ前に心臓の動悸がひどくなったり、ゼミ中に突然「なぜ自分はここにいるのだろう、どうせ役に立たない存在なのに」と涙がこみ上げる、ということも増えた。

おそらく、夏休みというインターバルを挟んだ結果、再びはじまる学校生活に身体が拒否反応を示したのだろうと思っている。10月のはじめは、「6月に休学しておけばよかった」という思いがずっと頭の片隅を占拠していた。

また、後期からアルバイトをはじめた。これは業務内容が将来の夢に関わることなので、多少心身に問題があってもやってみたい、と夏休みに面接を受けて10月から働き始めたものだが、始めたての頃は失敗も多く、毎回教育係の方に叱責を受けていたというプレッシャーが、体調に大きな影響を与えていた気がする。

 

今は精神科で処方してもらったドグマチールデパスと共に服用しているので、腹痛の症状はかなりおさまっているが、それでもゼミの前後や日中には鈍い腹痛に苛まれることもある。

現在

上記のようなこともあったので、現在は単位を必要最低限にして、登校するのは週3程度に抑え、カウンセリングと服薬を続けながら大学院生活を続けている。とにかく修了することだけが目標だ。

なんだかんだ行けてはいるので、症状としては軽いのかもしれない。だが、相変わらずゼミではなるべく気配を殺し、修論は遅々として進まないのはかなりしんどい。中間レポートも次々と課されているが何も動けておらず、正直焦っているが、その焦りも空回り、自己嫌悪に陥っている。

 

ただ、修了できるかどうかまったく分からず、中退する勇気もないという状況ではあるものの、今の大学院に進学したことはあまり後悔していない。もし、学部と同じ院に進学していたら、それはそれで「あの時外部の院に行っていれば、自分の力を試せたのでは」と後悔していただろう。

外部の院に進学した結果、現状ズタボロではあるがとりあえずは挑戦したのだし、自分の限界を知ったという点では挫折といえど無意味だった訳ではない、と現時点では考えている。また、専攻内容とは違うものの、今の院でしか学べないことにも触れられた。こうした思いが、何とか今の生活を続けていこうとする私のすがる杖のようなものなのかもしれない。