Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

後ろを向きながら、できれば前に歩く

6月中旬から休職していた。明後日に職場に戻る。

 

休職したことをずっとブログにもTwitterにも書けていなかった。休職期間中に直接話すことのあった知人には話したけれど、それ以外には誰にもほとんど言っていない。ずっと、どこかで休職した自分のことを許せなかったから。家族や周りの友人は、誰も責めることなく「ゆっくり休んで」「よくあることだから気に病まないで」と言ってくれた。私だって、家族や友人が同じ状況になったら同じ言葉を言っただろう。でも、自分には言えなかった。そしてそのまま、復職しようとしている。

ものすごく迷いがあるし、復職1週間前から夜はずっと眠れず、たいてい一日どこかの時間でぐずぐず泣いている。とはいえもう復職届は出してしまったし、ショウ・マスト・ゴー・オンだ。今の私にできることは、復職後の私の道しるべになるように、とりあえず何を感じているのかぐちゃぐちゃに書き残しておくこと。

 

 

なぜ休職したのか

次の2つが重なって対処しきれなくなったのだと自分では思っている。

  • 仕事の忙しさ

とはいうものの、「仕事が忙しかったんだよ」と人に言う時、「あくまでも自分にとってだけど」と付け加えずにはいられない。「忙しさ」を定量的に表せば月30時間程度の時が続いただけで、もっと長時間仕事に投じている人は山ほどいる。ただ、そう思う考え方が自分を追いつめているのは何となく理解しているが、その枠から外れることは私にとって難しい。

  • プライベートのこと

6月初めに祖母が亡くなった。彼女は突然逝ってしまったし、私は26年生きてきて身近な人間を亡くすというのが初めての経験だったので、ものすごく混乱したし仕事もできなくなった。

いい大人なら忌引休暇の3日間で気持ちに整理をつけられるはずなのに、私にはそれができなかった。休職当時はそう思っていた。大切な人を喪う時の感情は個々人だけのものであり、例えそれが自分のものであろうとも、そういう風に考えるのは間違っていると分かっているのに。同じことを他人には絶対に言わないだろうと思うのに、なぜ自分に対してはこう考えてしまうのだろう?

 

なお、私はブログの過去記事にも記載しているが、大学院在学時に適応障害を一回患っている。なので、今回は再発という形だ。恐らく、私は普通よりメンタルの不調に陥りやすい。

休職中にできてよかったこと

なんとなくお分かりかと思うが、私はいまだに自分が休職したことをものすごくコンプレックスに感じているので、対症療法として休職中にあったよいことを書きだしておく。

・展覧会記録の更新

働けていた時の不満は色々あったが、大きなものに「まったく展覧会に行けない」「下手すると興味すら持てない」というものがあったので、リハビリとして行ける限りは美術館に足を運ぶことにした。

最初はこのブログに書いていたが、改めてnoteで展覧会に行った記録や感想をまとめた。(なんとはなし、ブログは陰、noteは陽的な使い方になりつつある。)大体「これが気になったから調べてみたい」で、その先に行けていないという点はあれども、とかく何かを表現したい、美術に関わりたいという欲求を満たすことはできたし、今後も続けていきたい。

note.com

平日に美術館に行くと、人込みに心折れず心ゆくまで展示を楽しめるというのも嬉しかった。音声ガイドを借りて聞きながらでもゆっくり回れる。次、転職するなら音声ガイドのライターになりたいなと思いついて「音声ガイド 求人」でひたすら検索したりもした。

 

エーコさんのカーディガンを編む

エーコさんとは祖母のことだ(仮名です)。祖母は編みかけの編地を遺していたので、とるものとりあえずそれを持ち帰っていろんな人の助けを借りながらカーディガンにした。詳しくはnoteに書いている。

note.com

祖母は私をとてもかわいがっていてくれたけれど、私は孫として彼女の期待に応えきれない後ろめたさを持っていた。なので、個人対個人での関係を取り結びたかったし、もし今からでも取り結べるならばそれがいいと思って、記事中では「祖母」ではなく「エーコさん」にしている。

 

休職中にやって心が休まったこと

休職初期は何をすれば楽しいかも分からないという気持ちだったので、次同じようになったときも少しは軟着陸できるように、箇条書きでまとめておく。気が向いたらちゃんと書き足します。

  • 本(軽めのエッセイ)を読むこと
  • 編むこと
  • 歩くこと
  • 平日の公園で本を読むこと
  • 平日の美術館に行くこと

 

なぜ復職するのか

勤めている会社の産業医に、「この会社は100%元気になってから復職することを求めています。ちょっとずつ病み上がりからスタートするんじゃなくて、しっかり休んで回復してから復帰してください」と言われていた*1が、今の自分がこの水準に達しているかと言われると疑問だ。そもそも、100%回復したと自信をもって言い切れるくらい自分を知っていたら休職しなかったんじゃないかとすら思う。

それでも復職するのは、仕事に戻るのを引き延ばすたびに増していく恐怖があまりにも大きくなったからだ。

休職を母に告げた時、20代半ばで勤めを辞めて専業主婦になった母は「このまま家にずっと篭って家族としか話さなくなると、どんどんおかしくなるよ」と言った。この言葉がずっと耳にこびりついている。これは母からの「早く会社に戻りなさい」という圧力ではなく、ただ彼女の実感から出た言葉だと思う。だからこそ、この言葉は呪いのように私の心に居座ることになった。

書き出していくと、改めて、もし家族や友人が同じ状況だったら「絶対やめとけまだまだ休め」と言うだろうと思う。とはいえ、呪いは強かった。それに、どうせ会社を辞めるなら、何が駄目だったのかをちゃんと見極めてやろうと思ったのだ。今の状態でがむしゃらに次の勤め先を探しても、同じ穴の狢となる可能性はとても高い。

そこで、復職後の目標を掲げることにした。

 

復職後の目標:いのちだいじに

  • 少なくとも1、2か月は生存することだけを目標にする(成長しようとか思わない)
  • 必要ならば再びの休職を厭わない
  • 会社員として、自分に向いていないこと、向いていることを見つける
  • 向いていないことをなるべくやらないで会社員生活を送れないか(自分の道義心に反さない範囲で)試してみる
  • 生存が無理なくできる状態になったら、今の会社以外の選択肢を探す

要するに「いのちだいじに」だ。とりあえず8時間机に向かえたらよし。駄目ならすぐに撤退する。休職での傷をさらに悪化させなければ全部OK。

いちばん理想的なシナリオは、半年~1年くらい働いて、自分が苦でなくやれること・伸ばせそうなことを見つけ、その後もう少し働きやすい環境に転職することだ。こうなれたら万々歳である。

ただ、いちばんありえそうなシナリオ(1日~数日、あるいは数か月後に再び休職する)になっても落ち込まない。それはそれで、今の会社で働くことが、自分にとっては海水魚を琵琶湖に放すようなことだと分かるということだから。

あくまでも後ろを向きながら、できれば前に歩く。べつに横向きでもいい。今の地点よりも下がらなければ上等だし、下がったら下がったで別の道を探すだけだ。

*1:勤務先は外資系ITで、メリハリある働き方を是とする社風である。体力も知力も価値観もマッチョな人が集まりやすい