Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

修士二年目、半分過ぎつつある

なんとか休学せずにやっている。4月からの行き先も決まった。去年の私から比べたら大進歩だ。

あとはただ、年末までになんとか修士論文の体裁を整えたものをひねり出すだけ。口頭試問で「とりあえず書いたんで修了させてくださいお願いします」と頭を床に擦り付けるだけ。学部時代のいきった自分が聞いたら心底軽蔑しそうな意識の低さだ。でもいい。とりあえずやっていくしかないのだ。

進まなさ過ぎて修士2年の7月の今、指導教官にめちゃくちゃ基本的な文献を探してもらっているという情けなさだ。先生ありがとう。自分の無能さに毎日落ち込んでいるが、それは今に限ったことではなく、ただ単に今までそれを私に悟らせない優しい人々に囲まれていただけだ。それはそれで感謝しつつ、卑屈にならずに前を見ねばならない。それができずに修士1年間を棒にふったことを思えば、ちょっとずつ作業できている今はすごいと思う。願わくば12月まで同じ気持ちでいれますように。

 

 

物理的な話はもちろん、専攻すらも中学校から進学のたびにリセットされてきた私の、4月からの行き先は、一見してこれまでから最もかけ離れた専門分野だ。正直いって半年前までこういう職業があることすら知らなかった(とはいえなんだかんだ1日8時間をオフィスで過ごすいわゆる会社員なので、別に世間的に特に変わっているというわけでもないけれど)。ぶっちゃけもともと興味があったものでもない。今は修論を書きたくなさ過ぎて、就職先に関係しそうなビジネス書を漁って読んでいるが、たぶん4月になったら何もかもが分からなさ過ぎてすべてを投げ出したくなるだろう。つまり去年の4月と同じだ。

未来の自分へ。同じ失敗を繰り返す可能性は高いし、ひょっとしたら今度こそ休職に追い込まれるかもしれない。でも、たぶん4月の時点で私は少なくとも2年間、頼れる限りの人を頼って情けない思いもいっぱいして周りの人に心配をかけまくりつつも、なんとか最低限の課題をクリアした経験をもっているはずだ。その経験をなんとかクッションにして、自分でわざわざ痛みを増幅しないようにできていればいいなと思う。私はどうせ私なので、これからも些細な事で傷つき、劣等感を抱えていくのだろう。でも、傷つくたびにクッションを厚くしていくことはできるかもしれない。というかそうでもしないとやっていけないんだろうな。

というわけで、未来の私に多くは望まないけれど、とりあえず一度は落ちた底から這いあがった経験はあるのだということを覚えておいてほしい。もちろん私だけの力じゃなくて、周囲のとてもやさしい人たちに全力で甘えた結果だけれど。だからくれぐれも、すべてを投げ出さないでほしい。

 

……などと書いたけれど、とりあえずは最初のクッションの中身を作りに行かねばならない。正直今も毎日動悸はとまらんしおなかも下すし章立てもまとまらんし英語も読めんしきっついよ。でもあがけるだけあがいてみます。