Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

休職日記:旅先でパニックを起こす

先日、配偶者と4日ほど旅行に行ってきました。楽しい経験もたくさんあったのですが、今患っている症状が悪く進んだな、という場面があり、少しショックを受けたので書き残しておきます。

 

なお、私は現在休職中です。これまでの経緯についてはこちら。

再休職しました - Yarn Getting Tangled (hatenablog.com)

 

飛行機でパニックを起こす

目的地までは国内線で片道1時間半ほどのフライトでしたが、この決して長くない間に軽めのパニックを起こしてしまったのです。

具体的には、旅客機に乗り込んでからシートベルトを締め、離陸するまでの2~30分ほどの時間、急に「この閉じられた空間にいるのが怖い」「こんなに多くの人がいるのに、怖くて泣き叫んでしまったらどうしよう」「飛行機が落ちたら死んでしまう」などの思いが脳内から消えなくなり、動悸や息切れが酷くなるという内容でした。

その時は慌ててとりあえず頓服(本来は耳の閉塞感を感じた時向けの漢方、睡眠導入向けのエチゾラム錠の2種)を飲み、錠剤シートをぎゅっと握ってシートの角が皮膚に食い込む痛みで冷静さを取り戻そうとしていました。あとはKindleで小説を読んだり。

離陸が終わると徐々に落ち着いて、結局客室乗務員を呼んだりすることもなく、傍から見るとちょっと挙動不審な人レベルだったのかなとは思います。ただ、同行していた配偶者からすると、さっきまで普通に旅行にはしゃいでいたのに急に怖がる姿がかなり異様に見えたでしょうし、ものすごい心配をかけてしまいました。

 

無事に飛行機から降りた後、パニックになったこと自体へのショックが徐々に頭をもたげてきました。今まで国際線で10時間以上のフライトにも数回乗っているのですが、特に今回みたいな恐怖を感じることはなかったのに、なぜ? しかも行きのフライトでこうなったということは帰りのフライトでもこうなるだろうという予感は大いにしますし、「無事帰れるのか?」ということばかり考えていました。

 

旅行中もたびたびパニックに

結局、旅行中は帰りのフライトどころか、ちょっと地下鉄に数駅乗るだけでも度々パニックが出てしまいました。毎回と言うわけではなく、日中は比較的平気ですが夜になるとしんどくなる、という感じです。ただ、それゆえに配偶者は「さっきは行けたのに何で今はダメなの?」と感じる場面もあったでしょうし、とかく観光なんて公共交通機関無しに成り立たないので本当に申し訳なかったです……。

自分ですらそこの匙加減は把握し切れないというか、直前までは本当に移動した先で何をするか楽しみにしているんですよね。電車やバスに乗る場面になって急に怖気づいてしまう。

 

ただ、何度か乗る内に個人的な対策はできるようになってきました。

  • 飴・水を口に含む
    何かが口に入っていると気がそれるというか、少し恐怖感から目を背けられる気がします。水があると頓服も飲めますし。
  • 利用する交通機関の着時間を把握しておく / 途中停車駅の多いものを利用する
    少しでも不安を減らす作戦ですが、これは「着くまであとXX分もある!」と却って恐怖をあおる場合もあるので自分の中でも効く時・効かない時がよく分からないです。しかも今回は旅行中にスマホが壊れた(まさに泣きっ面に蜂)ので、ひたすら配偶者に「いつ着く?」と聞きまくってしまいました。
    あと、全体的な速さを犠牲にしてでも、途中停車駅が多い列車(特急よりは急行)を選んだ方が「最悪途中下車できる」という安心材料になったりもします。でも早い方が苦痛の時間は減るしな……ここらへんはまだ模索中ですね、
  • 既読の小説を読む
    初めて読むものが頭に入ってくる精神状態では無かったので、ある程度筋を覚えていて、人が死んだり辛い描写がものすごい強いわけでなく、それでいて話に入り込めるものが私には有効だった気がします。
    この旅行では津村記久子『この世にたやすい仕事はない』、メレ山メレ子『こいわずらわしい』、石田夏穂『我が友、スミス』など読んでいました。端末1つで次々過去読んだものをひっぱりだせるKindle最高。普段から「安心毛布」的読書リストを作っておくといいのかもしれません。
  • 頓服をすぐ飲める状態にしておく
    交通機関では、錠剤シートを握りしめっぱなしでした。手に食い込む角の痛さで冷静さを保とうとする側面もあったのだと思いますが……(一種の自傷行為みたいでもありますが)。
    とはいえ、今回飲んだ頓服は抗不安作用があるとはいえ、あくまで睡眠導入用のものなので、なるはやでかかりつけの病院に正しい処方をしてもらう必要はあるよなと思います。

 

一番の懸念だった帰りのフライトも、事前に頓服を飲み、飴・お茶・Kindleをスタンバイして乗り込んだところ、なんとかパニックには陥りませんでした。代わりに、ごく薄く「この空間からしばらく出られない」というような恐怖の膜にずっと覆われていて、そこからKindle等々で目をそらし続けるという感じだったので、「克服できたぜ!」という勝利感とかは無かったですが……。

 

無事に帰宅したが、うっすらした恐怖感の膜に覆われ続ける

というわけで無事に帰ってきたのですが、やっぱりうっすら「またパニック発作が起きて公共交通機関に乗れないのでは?」(予期不安というやつ)、ひいては「この状況ではフルタイムで働くことはおろか、リワーク等に通うことも無理では?」という恐怖感が何をしていても付きまといます。前者に関しては、今週中に電車で近場まで行ってみて試す予定。

あと、再休職時から自分なりに徐々に活動量を増やし、体調を整えてきたつもりだったのに、ここにきて症状が進んでしまったというショックも強いです。回復に向かってるなと思ったけれど、ここにきてふりだしよりちょっと後ろに戻った感じ。一進一・五退ですかね。三退くらいかも? これに関しては四の五言わずに日々を積み重ねていって治るのを待つしかない、というのは百も承知なのですが……。

 

とりあえず、今週末に友人と休職時の職場近くで会う予定があるので、電車で無事にそこへ向かえることを目標に生きていきます。

旅行で楽しかったこともたくさんあるので、noteの方とかに書けたらいいな。

再休職の過ごし方(9月後半~10月前半)

前回のエントリに書いた通り、今は再休職中です。

再休職しました - Yarn Getting Tangled (hatenablog.com)

この記事でも、便宜的に6月~9月前半の休職を第一期休職、9月後半~現在の休職を第二期休職と呼ぼうと思います。

 

第一期休職では、「休職中どう過ごせば自分を責めずにいられるのか? 回復に向かえるのか?」というのが分からず悪戦苦闘していました。配偶者がいる休日はまだいいのですが、一人で家にいる平日はどうしていいのか分からず……。ある日は一日布団にくるまって「今日も何もできなかった」と絶望したり、別の日は思い立って美術館に行き、その日は楽しいけれど、それはそれで「楽しいことはちゃんとできるのに働けない自分はなんなんだ」と責めたり、翌日疲れてまた寝込んだり。

第二期休職に入って、ようやく自分を責めない程度に程よい負荷の日課を続けられ始めたので記録しておきます。

再びの休職、平日どう過ごしているか

朝:とにかく外に出る

私は現在、会社員として働いている配偶者と同居しているので、基本的に朝は配偶者のスケジュールに合わせて行動しています。一人暮らしだと絶対生活リズムを崩していたので、ここはありがたいところ……。

7:30に起床し、朝食・家事タスク(洗濯・洗顔・着替etc...)をこなした後、8:30ごろ配偶者の通勤についていく形で家を出ます。

最寄り駅まで一緒に行き、配偶者を見送ったらそのまま家の方まで戻りつつ、自宅近くの図書館に行きます(日によってはそのまま電車で少し遠方の大きい図書館に行ったりもします)。

これがものすごく助かっていて、強制的に外に出るイベントを作ることで虚無のループから脱することができています。

虚無のループとは、

  1. 配偶者の出勤を見送る
  2. 布団に転がりスマホSNSやら無料連載の漫画やらを読み漁る
  3. 12時ごろまで「今日も何もできていない……」と罪悪感を抱えつつ布団から起き上がれない
  4. 昼食は適当に摂るが、その後再び布団に戻り、「今日もやっぱり何もできていない」と思いながら夕食まで過ごして消えたくなる

を平日延々と繰り返すことを個人的にそう呼んでいます。第一期休職初期とか、そもそも体力・気力が限りなくゼロに落ちている時はむしろ動かない方がいいのかもしれませんが、少し回復すると何もしないことを気に病める程度には元気になるけど、自分で外に出る意志を持てないんですよね……。第一期休職時は、意志がよわよわすぎて自分で家を出られる確率が20%くらいだったので、第二期では配偶者を頼ることにしました。

今のところ片道25分程度の道のりなのですが、往復地点で息切れするので復路は公園で休みつつ歩いています。体力の無さよ……。あと、息切れが続くと耳が詰まるような状態になるんですよね。飛行機の離陸時によくなるやつみたいな感じで、周りの音はクリアなままですが自分の呼吸音や声がこもって反響します。なぜか頭の位置を下げると治ることが多いので、こっそり道端で怪しまれない程度に前屈しています。

当面の目標は往復50分、休憩なし・息切れしない状態で歩き切ることができるようになることです。

図書館ではこうしてブログ記事を書いたり本を読んだりしつつ、お昼までの1~2時間を過ごしています。意外と朝から自習室を利用している方は多いので、謎の仲間意識も芽生えつつあります。

昼:基本は予定を入れずその日次第で

お昼になると、一旦昼食を摂りに家に戻ります。

その後のスケジュールはその日次第で、図書館にまた戻ることもあれば、家の布団で放心していることもあります。図書館に向かう用意をして靴まで履いたものの気力が持たず、玄関でひたすらSNSを眺め続けて2時間経過することすらあり、めちゃめちゃムラがありますね……。

ただ、例え昼がぐずぐずでも、「とりあえず朝動いたじゃん」という免罪符を振りかざせる(自分に対して)ので、第一期ほど落ち込む時は少ない気がします。

個人的な進歩としては、「家でやる気が起きない」という状態だとそれまでは布団一択だったのが、「とりあえず筋トレとかするか……」と体を動かす選択肢も選べるようになってきたこと(勝率50~60%くらいですが)。スマートバンドを付け始めたので、やればやるほどログが蓄積される楽しさもあり、YouTubeで10分ほどの軽い筋トレ動画を見ながらぼちぼちやっています。

夜:負荷が軽めの娯楽でリラックスする

夜は配偶者の帰りまでに夕食を用意するタスクがありますが、かなり内容を軽めにしている(作り置きを温めるか、下味冷凍した肉と冷凍野菜を炒める)ので体裁はともかく継続はできています。

夕食、入浴等のタスクを済ませたら、30分ほどストレッチし、その後は読書なり編み物なりゲームなりの娯楽をするという流れ。

ただ、入浴中湯舟で「今日はXXできなかったな」「明日はXXしなきゃ」と反省タイム&明日のタスク組みを始めてしまう時があり、風呂場から出た後、体は疲れて動けないが動悸だけが活発という状態になります。明日の予定を決めること自体は悪いことではないはずなのですが、そこに焦りがどうしても付いてきてしまうのでしょうね……

また、就寝前はエゾチラムを服用して入眠しやすくしているのですが、最近は布団に入っても1時間程度寝付けないのがデフォルトになりつつあります。

入浴中の反省タイム→動悸が出て寝付けないという流れがあるんだと思うのですが、ここの発生フラグが必ずしも「日中タスクをこなせなかった」だけではない気もしており……(むしろ結構こなせた日の方が、日中の勢いにブレーキをきかせることができなくなっている?)。今後の課題ですね。

物理的に動く習慣、大切

会社員時代はとかく出勤を忌み嫌っていたのですが、今になって「朝、強制的に家を出て数十分歩く」という習慣にとても助けられています。朝の倦怠感を断ち切りつつ、一日の運動量も多少は確保できる

ただ、今のところそれも配偶者ありきで成り立っている習慣なので、将来的に生活スケジュールの変化があると崩れてしまいそうな気もします。早めに自ずから動けるようになりたいですね(休日とかも朝20分くらいは歩くとか……)。

 

あとは課題があるとすればタスク管理の仕方でしょうか。考え出すと「やるべきこと」は無限にあるのですが(退職した場合の社会保障・税金について調べるとかね……)、今は「やるべきこと、やりたくない……やらなきゃ……」と悩むだけで1~2日は平気でつぶせる状態なので、タスクを思いついたらちょっと先のGoogleカレンダーに登録して、自分の思考の外にいったん出すのを実践していきたいですね。

 

9月後半~10月第二週にかけてこのスケジュールで習慣化できてきたので、今度からは美術館に行くなどの変則的なタスクも入れていきたいです。ただでさえ芸術の秋、いろんなところで素敵な展示が開かれているので。

再休職しました

前回9月中旬に、休職していたこと、翌日復職することを書いていましたが、そのあと4日で再休職しました。

今回は再休職の経緯について書いてみます。色んな人(主治医、産業医、身近な人等々……)に「なぜまた休職したのか?」を説明しなければいけないのですが、あまりにも自分が不甲斐ないと思う部分が多く、言葉に詰まって泣きながらしか話せないことがほとんどなので、一旦文章にまとめてみることにしました。

 

ちなみに、この記事では便宜的に6月~9月前半の休職を第一期休職、9月後半~現在の休職を第二期休職と呼ぼうと思います。

 

前回の記事はこちら。

後ろを向きながら、できれば前に歩く - Yarn Getting Tangled (hatenablog.com)

 

 

復職~再休職の経緯

まずは再休職に至った経緯について。

 

復職:配属先で揉める

再休職に至る原因を端的に言うと、配属先で揉めたことの1点につきます。

おそらく、多くの会社では、復職前にどの部署に戻るか会社と相談したうえで復帰することが多いのかと思います。一方、私の会社は復職後に人事と相談しながら配属先を決めるという形式でした。

で、私はここで躓きました。その選択肢が個人的に究極の2択だったのです。

  1. 休職時の部署
  2. 転居が必要な距離の支社に出向

他の会社では元の部署に戻ることが多いというのは知っていたのですが、どうしても1の休職時の部署には抵抗がありました。業務のしんどかった記憶を忘れられないというのもありますし、休職中に1の部署は離任するという形を取ってもらっていたので、「少なくとも元の場所に戻ることはないから大丈夫」と自分に言い聞かせて復職準備を進めていたところがあり、「今更戻りたくない」という気持ちが強く出てしまったんですよね……自分の我を通してしまっている申し訳なさがものすごかったのですが、人事には「他の選択肢があるなら、そちらを優先させてほしい」と伝えました。

 

そこで浮上してきたのが、2の遠方の支社に所属先を変えるという選択肢でした。完全に拠点を移す訳ではなく、1か月につき何日間かはその都市の寮に滞在して仕事してほしいというかなり譲歩してもらった条件でした(それ以外はリモート)。

それでも、果たして今の自分に定期的に家を離れ、一人で知らない場所・同僚・顧客と上手くやれるのか? と言われると自信は無く……。なおかつ、その職場の環境が前職で調子を崩したときのそれと少し似ていたこともあり、そこも悩みの種でした。

ちょうどその話が出たのが連休の前日だったので、「連休中悩んで、月曜朝にご連絡してもいいですか?」と人事担当者にメール。

連休中、うだうだ悩みの沼にはまる

連休中、人事へのメールに返信が来ず、「私がめちゃくちゃわがまま言ってるから呆れて返信できないってこと?」とまず悩み、遠方に行けるのかどうかでも悩み、やっぱり復職すべきじゃなかった、もう何もできない、消えてしまいたい……と、あっという間に希死念慮込みでどろどろした鬱の沼に浮かんでいるような状態になりました。

ちょうど心療内科の診察があったので、主治医に「元の部署か遠方の支社かで悩んでいます」と言うと「あなたの体が自然に決めてくれますよ」と返され、あまりにもそれは無責任では? とイライラし(主治医の先生は症状に合わせた薬の処方がメインの仕事であって、カウンセリングが職分ではないというのは重々分かっているのですが)、配偶者含め周囲にも当たり散らす最低さ。この時は第一期休職の一番ひどい時期にかなり近い状態で、本当に消えてなくなりたいと思っていました。

人事担当者に連絡するが……

とはいえ、遠方に異動「かもしれない」状態だけでここまで荒れるなら、実際に働くのはもう無理だろうと結論を出し、週明け月曜日に「すみません、やっぱり2は今の体調的に難しそうなので1か別の選択肢を選ぶことはできますか?」と人事担当者にメールしました。

すると、10分ほどで人事担当者の更に上の上司から、「どういうこと?」から始まるメールが届きました。「元の場所はあなたが「嫌だ」というから別の選択肢を紹介したのに、今更何を言っているのか? ビジネスの現場なのだから100%自分の希望が叶う条件はあり得ない」という内容。書かれていることは本当に正しく、かつ「やっぱり連休前送ったメールに返信来なかったのは勝手すぎて呆れられたからなんだ……」というショックを受け、ひたすら「すみません」と謝り倒すメールを送り、でもやっぱり地方都市には行けない、もう辞めるしかない……とパニックに。その後、担当者と改めて相談して、また休職することになりました。

復職日から4日。せめて1~2か月は続けたいと思っていたのに、それよりもずっと前のステップで躓いてしまったこと、担当者を振り回してしまったことへの不甲斐なさでいっぱいでした。書いている今も自分の弱さがほとほと嫌になります……。

再休職の反省点

一連の出来事の原因は、ただただ「自分の準備が整わないまま(会社の求める水準に達さないまま)復職してしまった」ということに尽きると思います。たまたま選択肢が極端だったというタイミングの悪さ(所属を変えないまま他部署を紹介してもらえるケースも多いので)はあるとはいえ、改めて書き出してみると、自分が焦って物事を進め、「やっぱり無理です」と駄々をこねている構図。

とはいえ、このまま自分を責めていても、「自分が消えて無くなるのが一番平和」という結論にしか辿り着けないのは第一期休職で経験済みです。そして同じことを繰り返してしまう。そうならないために、次活かせる反省点があるとすれば下記3点でしょうか。

回復より焦りを優先してしまった

「自分の準備が整わないまま復職してしまった」のは、「仕事ができていない自分への焦り」を「自分自身の回復」より優先させて行動した結果です。

復職前のエントリを読み返すと「ほんとこいつ数日で再休職しそうだな」と自分でも思うほどその点が如実ですね……。就職してからというもの、自分の価値を「定職に就いていて毎月それなりの額を家に持ち帰ってくる人間である」ことに置いていたことが分かります。

これは配偶者と対等なパートナーシップを結ぶために経済的に同等でありたいというこだわりがあること、毎週電話している祖父に休職していることを言えていない後ろめたさなどなどがこんがらかっており、なかなか解けない気がします。

とはいえこればっかりは、根気強く向き合うしかないですね……。

自分の状態を把握しきれていなかった

上ともやや重複しますが、焦りゆえに自分がいまどのくらい回復しているのかが全く見えない状況だったのも、復職タイミングを見誤った原因です。

とはいえ、第一期休職時も、「休んでいても、仕事していない自分を責めすぎて辛くなり、そのうち回復できるという実感がない」ということでくよくよ悩んでいたので、何をどうしたら休む自分を責めずにいられるのかは模索中です……。

とりあえず、睡眠や運動量など定量的なログが取れたら心理的に安心するかも? ということで、3000円代の安めのスマートバンドを付け始めてみました。

Amazon.co.jp: Xiaomi(シャオミ) Mi Smart Band 5 日本語版 1.1インチ有機ELディスプレー 14日間のバッテリー持続時間 10種類スポーツモード 5ATM防水 60種類以上文字盤種類 活動量計 : 家電&カメラ

あと、その日その日の感情や出来事を記録するのにDaylioというアプリを使っています。これは地味に大学院で調子を崩したころから3,4年使っていますが、休職してから結構がっつり書くようになりました。毎日リマインドしてくれるのでちょうどいい。

ブログを書いておきながらなんですが、オフラインで誰に読まれるでもない日記を書く気軽さっていいよね……とかみしめています。Daylioで好き勝手に書き殴った文章が、はてなブログやnoteの下地になっているので。

Daylio - 気分を記録する日記 - Google Play のアプリ

 

周囲への相談が足りなかった

今回はとりわけ人事担当者に、「自分がどういう症状でこの3か月休み、どれくらいは回復し、どのような業務上の配慮が必要なのか」というのを積極的に伝えるべきだったなと思います。会社の産業医の先生から何か連携あるだろうと勝手に思って自分からの情報共有を怠ってしまい、「残業は制限されている」など最低限の情報しかこちらからも伝えていなかったですし、担当者側からは聞きにくいことだよなと今更ながら思うので……。

また、ベタですが休職・復職経験がある人に経験談を聞くのも大切だなと思いました。前職の同期で1人復職経験者がいたのですが、第一期休職時は「相手は休職時のことはあんまり思い出したくないのではないか」などと考えて勝手に連絡することを遠慮していました。たまたま復職時のタイミングで会う機会があり、「何でも聞いて!」と本人が言ってくれたので、再休職が決まった時に甘えさせてもらいました。

結果的には、「自分が復職できるくらい回復したって思えたタイミングっていつ?」など色々聞けて、不安が和らいだというか、一人で苦しんでいるわけではないと分かって本当に助けられました

それから、ネットの先人達の記事も支えになっています。適応障害時のしんどさや経過を綴っているブログでいくつか大学院生の頃から愛読しているものがあり、今回もまた記事を読んでは共感し、上に書いたような問題への対処法のヒントをもらい続けています。本当にありがたい。

今後:再復職なのか退職なのか

一応、今回の休職は3か月ほどの長さです。

今の会社に再び戻るのか、すっぱり辞めて別の働き口を探すのかの二択ですが、少なくとも今月はあまりそこを考えずに休もうと思っています。

いちばんありえそうなシナリオ(1日~数日、あるいは数か月後に再び休職する)になっても落ち込まない。それはそれで、今の会社で働くことが、自分にとっては海水魚を琵琶湖に放すようなことだと分かるということだから。

ただ、復職時エントリで自分自身がこう書いている通り、4日しか持たなかったということはそもそも生態系が合わないんだろうとも思います。チャレンジしたいことも実はあるので、気持ち的には退職に傾いているというところ。

とりあえず、やりたいことをぼちぼちやります。トーハクの国宝展など行きたい展示もいっぱいあるし、WestknitsのMKALも楽しい。とにかく今は焦らず休むことに注力します。

後ろを向きながら、できれば前に歩く

6月中旬から休職していた。明後日に職場に戻る。

 

休職したことをずっとブログにもTwitterにも書けていなかった。休職期間中に直接話すことのあった知人には話したけれど、それ以外には誰にもほとんど言っていない。ずっと、どこかで休職した自分のことを許せなかったから。家族や周りの友人は、誰も責めることなく「ゆっくり休んで」「よくあることだから気に病まないで」と言ってくれた。私だって、家族や友人が同じ状況になったら同じ言葉を言っただろう。でも、自分には言えなかった。そしてそのまま、復職しようとしている。

ものすごく迷いがあるし、復職1週間前から夜はずっと眠れず、たいてい一日どこかの時間でぐずぐず泣いている。とはいえもう復職届は出してしまったし、ショウ・マスト・ゴー・オンだ。今の私にできることは、復職後の私の道しるべになるように、とりあえず何を感じているのかぐちゃぐちゃに書き残しておくこと。

 

 

なぜ休職したのか

次の2つが重なって対処しきれなくなったのだと自分では思っている。

  • 仕事の忙しさ

とはいうものの、「仕事が忙しかったんだよ」と人に言う時、「あくまでも自分にとってだけど」と付け加えずにはいられない。「忙しさ」を定量的に表せば月30時間程度の時が続いただけで、もっと長時間仕事に投じている人は山ほどいる。ただ、そう思う考え方が自分を追いつめているのは何となく理解しているが、その枠から外れることは私にとって難しい。

  • プライベートのこと

6月初めに祖母が亡くなった。彼女は突然逝ってしまったし、私は26年生きてきて身近な人間を亡くすというのが初めての経験だったので、ものすごく混乱したし仕事もできなくなった。

いい大人なら忌引休暇の3日間で気持ちに整理をつけられるはずなのに、私にはそれができなかった。休職当時はそう思っていた。大切な人を喪う時の感情は個々人だけのものであり、例えそれが自分のものであろうとも、そういう風に考えるのは間違っていると分かっているのに。同じことを他人には絶対に言わないだろうと思うのに、なぜ自分に対してはこう考えてしまうのだろう?

 

なお、私はブログの過去記事にも記載しているが、大学院在学時に適応障害を一回患っている。なので、今回は再発という形だ。恐らく、私は普通よりメンタルの不調に陥りやすい。

休職中にできてよかったこと

なんとなくお分かりかと思うが、私はいまだに自分が休職したことをものすごくコンプレックスに感じているので、対症療法として休職中にあったよいことを書きだしておく。

・展覧会記録の更新

働けていた時の不満は色々あったが、大きなものに「まったく展覧会に行けない」「下手すると興味すら持てない」というものがあったので、リハビリとして行ける限りは美術館に足を運ぶことにした。

最初はこのブログに書いていたが、改めてnoteで展覧会に行った記録や感想をまとめた。(なんとはなし、ブログは陰、noteは陽的な使い方になりつつある。)大体「これが気になったから調べてみたい」で、その先に行けていないという点はあれども、とかく何かを表現したい、美術に関わりたいという欲求を満たすことはできたし、今後も続けていきたい。

note.com

平日に美術館に行くと、人込みに心折れず心ゆくまで展示を楽しめるというのも嬉しかった。音声ガイドを借りて聞きながらでもゆっくり回れる。次、転職するなら音声ガイドのライターになりたいなと思いついて「音声ガイド 求人」でひたすら検索したりもした。

 

エーコさんのカーディガンを編む

エーコさんとは祖母のことだ(仮名です)。祖母は編みかけの編地を遺していたので、とるものとりあえずそれを持ち帰っていろんな人の助けを借りながらカーディガンにした。詳しくはnoteに書いている。

note.com

祖母は私をとてもかわいがっていてくれたけれど、私は孫として彼女の期待に応えきれない後ろめたさを持っていた。なので、個人対個人での関係を取り結びたかったし、もし今からでも取り結べるならばそれがいいと思って、記事中では「祖母」ではなく「エーコさん」にしている。

 

休職中にやって心が休まったこと

休職初期は何をすれば楽しいかも分からないという気持ちだったので、次同じようになったときも少しは軟着陸できるように、箇条書きでまとめておく。気が向いたらちゃんと書き足します。

  • 本(軽めのエッセイ)を読むこと
  • 編むこと
  • 歩くこと
  • 平日の公園で本を読むこと
  • 平日の美術館に行くこと

 

なぜ復職するのか

勤めている会社の産業医に、「この会社は100%元気になってから復職することを求めています。ちょっとずつ病み上がりからスタートするんじゃなくて、しっかり休んで回復してから復帰してください」と言われていた*1が、今の自分がこの水準に達しているかと言われると疑問だ。そもそも、100%回復したと自信をもって言い切れるくらい自分を知っていたら休職しなかったんじゃないかとすら思う。

それでも復職するのは、仕事に戻るのを引き延ばすたびに増していく恐怖があまりにも大きくなったからだ。

休職を母に告げた時、20代半ばで勤めを辞めて専業主婦になった母は「このまま家にずっと篭って家族としか話さなくなると、どんどんおかしくなるよ」と言った。この言葉がずっと耳にこびりついている。これは母からの「早く会社に戻りなさい」という圧力ではなく、ただ彼女の実感から出た言葉だと思う。だからこそ、この言葉は呪いのように私の心に居座ることになった。

書き出していくと、改めて、もし家族や友人が同じ状況だったら「絶対やめとけまだまだ休め」と言うだろうと思う。とはいえ、呪いは強かった。それに、どうせ会社を辞めるなら、何が駄目だったのかをちゃんと見極めてやろうと思ったのだ。今の状態でがむしゃらに次の勤め先を探しても、同じ穴の狢となる可能性はとても高い。

そこで、復職後の目標を掲げることにした。

 

復職後の目標:いのちだいじに

  • 少なくとも1、2か月は生存することだけを目標にする(成長しようとか思わない)
  • 必要ならば再びの休職を厭わない
  • 会社員として、自分に向いていないこと、向いていることを見つける
  • 向いていないことをなるべくやらないで会社員生活を送れないか(自分の道義心に反さない範囲で)試してみる
  • 生存が無理なくできる状態になったら、今の会社以外の選択肢を探す

要するに「いのちだいじに」だ。とりあえず8時間机に向かえたらよし。駄目ならすぐに撤退する。休職での傷をさらに悪化させなければ全部OK。

いちばん理想的なシナリオは、半年~1年くらい働いて、自分が苦でなくやれること・伸ばせそうなことを見つけ、その後もう少し働きやすい環境に転職することだ。こうなれたら万々歳である。

ただ、いちばんありえそうなシナリオ(1日~数日、あるいは数か月後に再び休職する)になっても落ち込まない。それはそれで、今の会社で働くことが、自分にとっては海水魚を琵琶湖に放すようなことだと分かるということだから。

あくまでも後ろを向きながら、できれば前に歩く。べつに横向きでもいい。今の地点よりも下がらなければ上等だし、下がったら下がったで別の道を探すだけだ。

*1:勤務先は外資系ITで、メリハリある働き方を是とする社風である。体力も知力も価値観もマッチョな人が集まりやすい

適応障害:通院記録(12/4)

今日は2週に1度の通院日。

適応障害になった経緯はこちら。

 

shibashiba-713.hatenablog.com

 

昨日書きなぐった通り、腹痛や不安感が強くなっていること、抑肝散の効き目があまり感じられないことを訴えると、抑肝散の代わりにSSRIと呼ばれる抗うつ剤を投与することになった。ついに来たぜ、抗うつ剤

この薬の効果が出るのは1日50mg~だが、いきなりその量を服用すると副作用の恐れがあるので25mgからはじめ、2週間後に様子をみて増やしていくという。えっ、じゃあ10日後の修論中間発表に間に合わへんやん、と思ったものの、まあ特効薬的なものがあるわけないもんな……とすぐに思い直して「はい、それでお願いします」と言ってしまった(こうやって自分で飲み込むの、よくない癖かもしれないけれど)。どうなる中間発表。

 

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(http://www.info.pmda.go.jp/downfiles/ph/GUI/780009_1179046F1206_1_04G.pdf)より

これで、現在服用しているのは

デパス 0.5mg

ドグマチール 50mg

セルトラリン 25mg

になった。

後期に入ってから確実に増えている薬の量が少し怖いが、これで少しでも楽になることを願う。

適応障害:通院記録(11/20)

今日は通院日だったので、記録代わりに。

適応障害になった経緯はこちら。

 

shibashiba-713.hatenablog.com

 

私は学内に設置されている、学生は診察料が無料になる診療所の精神科でいつも診察を受けている。学部時代の大学は規模が小さすぎてそんなものはなかったので、こういうところは大規模な総合大学のありがたさだなと思う。

(同じこと、前回も書いてるな)

 

shibashiba-713.hatenablog.com

 

診察はいつも短くて5分ほどだ。大抵、睡眠のこと、10月に入ってからは腹痛や吐き気、体のこわばりのことなど、ここ数週間の間に体調の変化があったかを中心に話している。とはいえ、うまく伝えらえたと思うことは少ない。素直に体調を伝えればいいだけなのだが、なんとなく「こういったら軽い症状だと思われるかな」「体調というかただの愚痴になるかも」という計算が働いて、言わな過ぎたり言い過ぎたりとちょうどいい塩梅を見つけられないのだ。

今までの薬

6月に通院をはじめてすぐはメイラックスを処方されていたが、眠気が日中も続くのでデパスに変えてもらい、前期はデパスのみで過ごしていた。

後期がはじまって腹痛を訴えるとドグマチールが追加された。最初は1日150mgだったが、生理が早まるなどしたので量を少なくし、1日100mgに落ち着いていた。

 

今回追加された薬

今週はドグマチールの副作用でさらに生理周期が不安定になっていることを伝えると、ドグマチールの量をさらに減らしてまずは漢方を試し、効果次第で抗うつ剤を使いましょう、と言われ、漢方薬の抑肝散(よくかんさん)を追加することになった。

抑肝散とは、東洋医学でいう「肝」(西洋医学でいう「肝臓」と似ているが、「肝臓」の機能に加え感情のコントロールも司る臓器を指すらしい)の働きをおさえる薬だという。神経のたかぶりや不安感を鎮める効果があり、不眠症や子どもの夜泣き対策でよく使われるようだ。色は灰色で、思ったよりも苦くはない。

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(抑肝散(ヨクカンサン): ツムラの漢方処方解説 | 漢方について | ツムラ)

 

抗うつ剤に対して抵抗がものすごくあるわけではないが、断薬が難しいという話をよく聞くので、漢方が効けばうれしい。ただ、漢方自体もそんなに服用したことがないので「ほんまに効くんかいな」という猜疑心もちょっとあったりする。まあ、効くと思うのが一番大事なのかもしれないけれど。

 

雑感

これこそ本当にただの愚痴なのだけど、修論のWordファイルを開くにもいちいち動悸がして呼吸を整えなければいけないことや、通学中やキャンパスを移動しているときに吐き気が込み上げてくることを先生に「緊張しすぎている」という一言で片づけられると、なんというか、それはそうなのだろうけども、そんな簡単に言わないでくれ、という気持ちになる。ただ、後期は今のところゼミやバイトをさぼって家で寝込むということがないのも事実で、全体からみれば私の障害は軽症ということになるのだろう。実感としては、休むなら休むで罪悪感に苦しむということを前期に学習したので体面上行っているだけで、辛いことは辛いけれど。

修論の中間発表が徐々にせまっている。はたして、私は無事にそれらしいものをでっちあげることができるのだろうか。

適応障害、すべて自分の妄想なのでは説に苦しむ日記

今日は授業とアルバイト。昨日あまり眠れず、ぼうっとする頭で不機嫌になりながら朝着替えていると電話があって、明日予定していたカウンセリングが二週間後に延期になった。

 

私は6月ごろから、学内のカウンセリングを月に二度ほど利用している(こういう支援が無料で受けられるのは大きな総合大学に進学してよかったことの一つだ)。毎回一時間のセッションで、近況や悩み事をカウンセラーの方に聞いてもらう。授業が不安だ、ゼミが怖いという話をしていると、比較的元気なときでも大抵泣いてしまって、カウンセリングが終わったあとは毎回ぐったりしている。だが、そうやって二週間に一回、心の丈を吐き出せる機会は貴重だ。利用し始めてから5か月ほど経過して、最近はカウンセラーの人に慣れてきたこともあり、普段から症状が強く出た時は「今度カウンセリングの時に話そう」と考えて気持ちの安定を図っていた。

だから、いきなりカウンセリングが延期になってしまったのはかなり打撃だった。もちろん、カウンセラーの方にもご都合があるだろうし、代案も提案してくださったのだが、すべて私のバイトの日程で埋まってしまっていたので、それは仕方がない。

ただ、それで不安になったのだろう。

 

私は本当に病気なのだろうか。

今日、登校するときやバイトに向かうとき、帰宅後疲れ果ててベッドにのびているとき、ずっとこの問いが頭から離れなくてしんどかった。

私は本当に病気なのだろうか。ただ、甘えているだけなのではないだろうか?

 

進んでもいない修士論文の構想を、中間発表のためにそれらしく練らなければならないのだが、最近道を歩きながら(修論、今日も進まなかったな……)と思うと少し呼吸が苦しくなって、意識的に大きく息を吸って吐かなければならない。

研究室に入る前は、必ずドアの前で立ち止まって、動悸を抑えるために一回深呼吸してからでないとドアノブを回せない。

バイトに通勤する電車の中で、不意に涙があふれてくる。そういうときは、なるべく顔を歪めたり嗚咽したりせずに背筋を伸ばして、何でもないような表情をとりつくろいながらハンカチで涙をぬぐう。

なんとか一日の予定を終えて家に帰ってくると、肩と頭がずきずき痛み、ベッドから動けなくなる。

 

こういう症状、確かに苦しいけど、全部ただの思い込みなんじゃないだろうか。もしかしたらこうやってつらつらと症状を書くことすらも、自己憐憫に浸りたいがためだけの自己満足なのかもしれない。こういう「適応障害、すべて自分の妄想なのでは」説を唱える自分が脳内にいて、日に一度は声高に訴えてくる。今日はその声がかなり自分に刺さってしまったみたいだ。

 

本当は大学院もすっぱり辞めてしまうべきなのだと思う。ずっと自分なりに意欲をもって専攻してきた美術史に関係するはずの講義やゼミの内容にもとんと興味がわかず、修論も最低限の課題をクリアするためにいやいややっているようなものだ。研究室の先生や同期、先輩となるべく顔を合わせないようにびくびくしながら大学に行って、私は何をしているのだろう。

それは怖いからだ。身体も気持も休みたいと言っている。精神科でも診断を受けた。指導教官に休学の相談もした。なんならフリーター向けの就活アドバイザーに面談まで行った。でも、結局これは単に勉強をしたくないからではないか、同期についていけない自分を直視したくないだけではないか、すべては私の甘えで、ここでふんばらなければ将来一生後悔したまま生きることになるのではないだろうか。

こうした恐れは、きっといくらカウンセリングを受けても、周りの人に休んでいいんだよ、がんばっているよと言われても、自分で納得しない限りは、弱った自分を受け入れられない限りは消えないんだろうと思う(むしろ優しい言葉すらも「自分の妄想なのでは」説に聞こえてしまって、本当に申し訳なくなる)。それか、今の環境を修了という最善の形で終えるか。

 

こんな状況では、後者は望み薄だ。でも、自分の今の状況はただの甘えだろうという自分自身の声も無視できない。6月くらいから膠着状態が続いている。

どうしたらいいんだろう。もうわからない。

 

普段からとりとめもない記事だが、今日は一段とまとまりがなく、ただ不安を書きなぐった日記になってしまった。調子の悪い時の状態の記録ということで、ひとつ。