Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

後ろを向きながら、できれば前に歩く

6月中旬から休職していた。明後日に職場に戻る。

 

休職したことをずっとブログにもTwitterにも書けていなかった。休職期間中に直接話すことのあった知人には話したけれど、それ以外には誰にもほとんど言っていない。ずっと、どこかで休職した自分のことを許せなかったから。家族や周りの友人は、誰も責めることなく「ゆっくり休んで」「よくあることだから気に病まないで」と言ってくれた。私だって、家族や友人が同じ状況になったら同じ言葉を言っただろう。でも、自分には言えなかった。そしてそのまま、復職しようとしている。

ものすごく迷いがあるし、復職1週間前から夜はずっと眠れず、たいてい一日どこかの時間でぐずぐず泣いている。とはいえもう復職届は出してしまったし、ショウ・マスト・ゴー・オンだ。今の私にできることは、復職後の私の道しるべになるように、とりあえず何を感じているのかぐちゃぐちゃに書き残しておくこと。

 

 

なぜ休職したのか

次の2つが重なって対処しきれなくなったのだと自分では思っている。

  • 仕事の忙しさ

とはいうものの、「仕事が忙しかったんだよ」と人に言う時、「あくまでも自分にとってだけど」と付け加えずにはいられない。「忙しさ」を定量的に表せば月30時間程度の時が続いただけで、もっと長時間仕事に投じている人は山ほどいる。ただ、そう思う考え方が自分を追いつめているのは何となく理解しているが、その枠から外れることは私にとって難しい。

  • プライベートのこと

6月初めに祖母が亡くなった。彼女は突然逝ってしまったし、私は26年生きてきて身近な人間を亡くすというのが初めての経験だったので、ものすごく混乱したし仕事もできなくなった。

いい大人なら忌引休暇の3日間で気持ちに整理をつけられるはずなのに、私にはそれができなかった。休職当時はそう思っていた。大切な人を喪う時の感情は個々人だけのものであり、例えそれが自分のものであろうとも、そういう風に考えるのは間違っていると分かっているのに。同じことを他人には絶対に言わないだろうと思うのに、なぜ自分に対してはこう考えてしまうのだろう?

 

なお、私はブログの過去記事にも記載しているが、大学院在学時に適応障害を一回患っている。なので、今回は再発という形だ。恐らく、私は普通よりメンタルの不調に陥りやすい。

休職中にできてよかったこと

なんとなくお分かりかと思うが、私はいまだに自分が休職したことをものすごくコンプレックスに感じているので、対症療法として休職中にあったよいことを書きだしておく。

・展覧会記録の更新

働けていた時の不満は色々あったが、大きなものに「まったく展覧会に行けない」「下手すると興味すら持てない」というものがあったので、リハビリとして行ける限りは美術館に足を運ぶことにした。

最初はこのブログに書いていたが、改めてnoteで展覧会に行った記録や感想をまとめた。(なんとはなし、ブログは陰、noteは陽的な使い方になりつつある。)大体「これが気になったから調べてみたい」で、その先に行けていないという点はあれども、とかく何かを表現したい、美術に関わりたいという欲求を満たすことはできたし、今後も続けていきたい。

note.com

平日に美術館に行くと、人込みに心折れず心ゆくまで展示を楽しめるというのも嬉しかった。音声ガイドを借りて聞きながらでもゆっくり回れる。次、転職するなら音声ガイドのライターになりたいなと思いついて「音声ガイド 求人」でひたすら検索したりもした。

 

エーコさんのカーディガンを編む

エーコさんとは祖母のことだ(仮名です)。祖母は編みかけの編地を遺していたので、とるものとりあえずそれを持ち帰っていろんな人の助けを借りながらカーディガンにした。詳しくはnoteに書いている。

note.com

祖母は私をとてもかわいがっていてくれたけれど、私は孫として彼女の期待に応えきれない後ろめたさを持っていた。なので、個人対個人での関係を取り結びたかったし、もし今からでも取り結べるならばそれがいいと思って、記事中では「祖母」ではなく「エーコさん」にしている。

 

休職中にやって心が休まったこと

休職初期は何をすれば楽しいかも分からないという気持ちだったので、次同じようになったときも少しは軟着陸できるように、箇条書きでまとめておく。気が向いたらちゃんと書き足します。

  • 本(軽めのエッセイ)を読むこと
  • 編むこと
  • 歩くこと
  • 平日の公園で本を読むこと
  • 平日の美術館に行くこと

 

なぜ復職するのか

勤めている会社の産業医に、「この会社は100%元気になってから復職することを求めています。ちょっとずつ病み上がりからスタートするんじゃなくて、しっかり休んで回復してから復帰してください」と言われていた*1が、今の自分がこの水準に達しているかと言われると疑問だ。そもそも、100%回復したと自信をもって言い切れるくらい自分を知っていたら休職しなかったんじゃないかとすら思う。

それでも復職するのは、仕事に戻るのを引き延ばすたびに増していく恐怖があまりにも大きくなったからだ。

休職を母に告げた時、20代半ばで勤めを辞めて専業主婦になった母は「このまま家にずっと篭って家族としか話さなくなると、どんどんおかしくなるよ」と言った。この言葉がずっと耳にこびりついている。これは母からの「早く会社に戻りなさい」という圧力ではなく、ただ彼女の実感から出た言葉だと思う。だからこそ、この言葉は呪いのように私の心に居座ることになった。

書き出していくと、改めて、もし家族や友人が同じ状況だったら「絶対やめとけまだまだ休め」と言うだろうと思う。とはいえ、呪いは強かった。それに、どうせ会社を辞めるなら、何が駄目だったのかをちゃんと見極めてやろうと思ったのだ。今の状態でがむしゃらに次の勤め先を探しても、同じ穴の狢となる可能性はとても高い。

そこで、復職後の目標を掲げることにした。

 

復職後の目標:いのちだいじに

  • 少なくとも1、2か月は生存することだけを目標にする(成長しようとか思わない)
  • 必要ならば再びの休職を厭わない
  • 会社員として、自分に向いていないこと、向いていることを見つける
  • 向いていないことをなるべくやらないで会社員生活を送れないか(自分の道義心に反さない範囲で)試してみる
  • 生存が無理なくできる状態になったら、今の会社以外の選択肢を探す

要するに「いのちだいじに」だ。とりあえず8時間机に向かえたらよし。駄目ならすぐに撤退する。休職での傷をさらに悪化させなければ全部OK。

いちばん理想的なシナリオは、半年~1年くらい働いて、自分が苦でなくやれること・伸ばせそうなことを見つけ、その後もう少し働きやすい環境に転職することだ。こうなれたら万々歳である。

ただ、いちばんありえそうなシナリオ(1日~数日、あるいは数か月後に再び休職する)になっても落ち込まない。それはそれで、今の会社で働くことが、自分にとっては海水魚を琵琶湖に放すようなことだと分かるということだから。

あくまでも後ろを向きながら、できれば前に歩く。べつに横向きでもいい。今の地点よりも下がらなければ上等だし、下がったら下がったで別の道を探すだけだ。

*1:勤務先は外資系ITで、メリハリある働き方を是とする社風である。体力も知力も価値観もマッチョな人が集まりやすい

「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」@森美術館展

六本木・森美術館「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展に行ってきました。



 

 

www.mori.art.museum

 

展覧会タイトルでもある「地球が回る音を聴く」は、オノ・ヨーコのインストラクション・アート、「グレープフルーツ」からの引用です。

「部屋の音を聴く」、「カンバスに見えないくらいの小さな穴をあけ、そこから部屋を覗く」など、できなくはない(そもそも不可能なものもありますが)が実際にはやらないであろう指示がタイプ打ちされて額縁に入っている、普段私たちが一顧だにしないことを足を止めて感じる事を求める作品です。

オノ・ヨーコ「地球の曲」1963展覧会公式サイトより引用)

 

 

展示には16名の作家による様々なメディアの作品(絵画、彫刻、映像、写真、インスタレーション……)が集められており、何らかの行為を日々積み重ねて形を成していったものが数多くあります。

 

例えば、展覧会のメインビジュアルにもなっている、ヴォルフガング・ライプによる「花粉のインスタレーション」。


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ヴォルフガング・ライプ(Wolfgang Laib)「花粉のインスタレーション」(筆者撮影)

 

年に瓶の半分から1本ほどしか採れないというヘーゼルナッツの花粉を毎年採集し、床に敷き詰めた作品。展示室に入ると、私たちが普段嗅ぎ慣れているヘーゼルナッツの実をより甘くしたような香りが充満していました。

コロナ禍によってどこかへ出かけていくことが難しくなったのはもちろん、そこへ出かけたとしても人やモノと直接接触するハードルが高くなった中で、香りこそが最も「今そこにいること」を実感させてくれる感覚となったのかもしれません(それすらもマスク越しだとしても)。

 

それから、ギド・ファン・デア・ウェルヴェによる「第9番 世界と一緒に回らなかった日」。

一人の男(ウェルヴェ本人)が北極点に一日中立ち尽くし、刻々と動く太陽と反対にその場を回転していく、という様子をタイムラプスで撮影した映像作品です。

 

ギド・ファン・デア・ウェルヴェ(Guido van der Werve)「第9番 世界と一緒に回らなかった日」2007(展覧会公式サイトより引用)

 

この作品を観るのは私にとって二度目です。

最初に観たのは学生時代に観光で訪れたルクセンブルク現代美術館(MUDAM)。

当時、全然フランス語ができないのにフランスでの1か月間の職場体験プログラムに応募し(なぜか合格し)、当然ながら周囲となじめず、休日は理由をつけて当時滞在していた町の周辺に足を延ばしてなるべく同じプログラムの参加者と顔を合わせないようにするという体たらく。ルクセンブルクもそんな理由で足を伸ばした街の一つでした。(フランスの東側国境にほど近い街だったので、ルクセンブルクにも日帰りで行けたのです。)

しかし、当時は海外の美術館に行くともちろん日本語のキャプションなどなく、(仏語よりはまだ分かる)英語のキャプションをどうにか読んで理解しようとするのですが、現代美術は特に抽象的な内容で追いつけず、ある作品を観てキャプションを読んでもよくわからず、次の作品を観ても未消化の英文が頭の中をぐるぐるしている……という悪循環に陥り、作品を観るというか、だだっ広い館内をさまよっている状態でした。

(ほんと美術史も語学も勉強していけよという感じですが……)

その中で、「第9番 世界と一緒に回らなかった日」は文字での説明をそこまで必要としない視覚的な分かりやすさでまず目を惹かれ、太陽が昇って降りるまでの間、微動だにしない雪原の中で、少しずつ向きを変えていく男の小ささに、なんとなく自分を重ねてじっと観ていたのを思い出します。

 

他にも彼はただ家の周りを100キロ超えるまで何周も走り続けるとか、自宅のベッドに何千回も倒れ込むという反復を繰り返し続ける映像作品を制作しています。できるかもしれないけどわざわざやらなかろうという行為を本当にやる、オノ・ヨーコの「グレープフルーツ」のインストラクションの実践者とも言える作家かもしれません。

一方で、ある作品にはエベレストを登ろうとしたが、体を慣らすためにやや低い山(それでも6000m級ですが)に登った時に高山病になったので断念し、ではエベレストの標高分はしごを登ろうと思ったがそれも脚部の極度の疲労により諦め……という文章も綴られており、なんだか励まされるなあと思うこともありました。

 

 

他にも、夜ごとカード状の作品を描き続けたロベール・クートラス(※)、広告を希釈したボンドで何層も積み重ねた金崎将司などなど、多くの作家がそれぞれに積み重ねた作品が数多く展示されています。

ロベール・クートラス(Robert Coutelas)「僕の夜のコンポジションリザーブカルト)」1970(展覧会公式サイトより引用)

 

数々のバリエーションを眺めていると、自分と自分以外のチューニングを合わせるような作業は恐らく誰でもがそれぞれのやり方ででき得るもので、それらごく私的な作業のひとかけらが、たまたま美術として掬い上げられて今ここにあるという実感が湧きます。同時に、自分にとってのそれは何なのか?/たまたま掬い上げられなかった行為は消えてしまうのか?などなど、「いろんな人がいろいろやっているなあ」で立ち止まらずにもっと問いを掘り返していかねばな、と強く思います。

 

展覧会情報

会期:2022.6.29(水)~ 11.6(日) 会期中無休

開館時間:10:00~22:00(最終入館 21:30)
      ※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)

会場:森美術館

地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング | 森美術館 - MORI ART MUSEUM

 

 

※クートラスの作品集『僕の夜』について、作家の津村記久子さんが『枕元の本棚』という著作の中で紹介しています。クートラスの作品の印象を描写した文章それ自体がとても美しく、自分もいつかこう書ければ……といつも憧れてしまいます。

床につく前の思い出し笑いのような、寝入りばなの夢のようなカルト*の絵には、闇を一啜りずつ味わうような密やかな趣がある。
津村記久子『枕元の本棚』「第四章 眺めるための本」2019, 実業之日本社, 電子版)

*仏語のcarte。トランプ大のカードのこと

www.j-n.co.jp

 

「石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展@アーティゾン美術館

アーティゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策
写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄鈴木理策」展を見てきました。

二名の写真家が自身の作品とアーティゾン美術館のコレクション作品とを同じ空間に展示し、写真と絵画の関係性を考える展示です。


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壁紙や作品の配置のされ方などの演出がとても考えられている展示だと感じました。

例えば、モネの睡蓮の連作に着想を得て鈴木氏が撮影した作品群の展示室では、水色の壁面が作品の色彩を鮮やかに見せるとともに、展示室全体に水の表情というテーマを与えるために一役買っているように見受けられました。


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また、二体の円空仏が部屋の中心におかれ、円空仏と共に壁面の写真を目にすることになる構成の展示室も、円空仏の元の木目に逆らわない、整えすぎていない彫りと、自然の中の人工物を写した柴田氏の作品が呼応し合っており、とても印象的でした。


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同じ部屋の入り口側壁面には、レオナルド・ダ・ヴィンチの海綿にたくさんの色を含ませて壁に投げれば、その染みが美しい風景として立ち現れる、という引用が記され、さらにその反対、展示室出口側の壁面に、ダ・ヴィンチの引用に引き付けて、(写真は)その時その場にいないと撮れない、偶然の巡りあわせだという柴田氏のキャプションがあり、両者の対話を間に挟まって聴いているような気持ちになる演出だなと感じました。

 

下記リンクのインタビュー記事にも展示構成の言及が詳しくされており、恥ずかしながら展示を見たときは見過ごしていたものなどがたくさんありました……(セッション5のジャコメッティの展示など)

7/10に会期終了するので駆け込みで行ったのですが、もう少し早く行って2度3度観たい展示だったなと思います。しかも展覧会図録も数日前に完売とのことで手に入れられず、大変無念……

 

柴田敏雄×鈴木理策×光田由里 【座談会】ふたりの写真家と美術館が起こすケミストリー|Tokyo Art Beat

 

[PR]芸術家はどのようにものを見て、作品をつくるのか──ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策(アーティゾン美術館):トピックス|美術館・アート情報 artscape

 

 

余談ですが、たまたまアーティゾン美術館の隣が工事現場で、展覧会を見終えて下のフロアに行くとガラス張りの壁面からむき出しの鉄骨と仮組の足場、それら灰色の背景と対象をなす朱色のクレーンがよく見え、おおこれは柴田俊雄氏の作品にちょっと通じるんではと思ってスマホのシャッターを切っていたらやはり何人か同じ場所で写真を撮る人が多く、みんなおんなじこと考えたんだろうな……と思うなどしました。こういう緩い連帯感(勝手に感じているだけですが)、結構好きです。


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永青文庫「仙厓ワールド  ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―」

永青文庫「仙厓ワールド  ―また来て笑って!仙厓さんのZen Zen 禅画―」(5/21-7/18)の後期展示に行ってきました。

永青文庫 (eiseibunko.com)

 

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ゆるゆる禅画ワールド・仙厓

ゆるい描線ととぼけた画題で知られる江戸時代後期の禅僧・仙厓義梵。

『人形売り図』(19世紀・仙厓義梵 参照元永青文庫美術館

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『野雪隠図』(19世紀・仙厓義梵 参照元永青文庫美術館

 

あまりの揮毫依頼の多さに辟易し、「絶筆」と書いた石碑を建てて引退宣言したものの、それを知った人々の駆け込み需要で依頼はますます増え、しまいにはその「絶筆」碑を絵に描いて渡すというエピソードが愉快です。

(『絶筆の碑図』は前期展示のみだったらしく見られず無念……前後期でかなり入れ替えがあったみたいなので、前期で行かれた方は後期もリピートされるとさらに楽しめるのではないでしょうか……!)

 

キャプションで語られる禅僧エピソード

全作品に用意されたキャプションでは解説+作中の文の翻刻で大変丁寧かつ、制作年代と一緒に仙厓の年齢も示されていたので、彼がその時々何を思ってこの作品を描いたのか、という想像のきっかけとなる工夫だなと感じました。

そしてキャプションで紹介される、作品の画題となった禅僧のエピソードも人間臭くて魅力的です。

数十年にわたり京都の橋の下に住んでいたという大燈国師(こちらに鼻水をかっ飛ばしてくる表情が最高)、猫のことでもめた弟子を見かねて、その猫をひっつかみ刃物を持って「一句言え、さもなくば斬る」と言い、弟子たちは答えられず本当に斬ってしまう南泉(の絵を描いた仙厓は「南泉も斬られてしまえ」と書いているそうですが)などなど……

 

展覧会には仙厓の兄弟子にあたる誠拙周樗、「禅画といえばあの人」な白隠の作品も出品されていました。

おそらく当時は多くの禅僧が禅宗の教えを伝えるべく自ら筆を執ったのだろうと思いますが、そういえば描かれた禅画がどのように人の目に触れたのか、自分は全く知らないなあと気づかされました。絵解きのように描いた絵を民衆に見せながら教えを説く、みたいなことが行われていたのでしょうか? また、仙厓が本格的に絵画を学び始めたのは40代後半とのことですが、それはどのような方法だったのか(絵手本のようなものを写すとか?)も気になります。そもそも禅宗への知識自体もあまりないので、併せて勉強したいテーマですね……

(そもぞも禅画という語が戦後使われ始めた用語であり、ドイツの美術史家クルト・ブラッシュ氏が提唱したものということが展示で紹介されており、今回初めて知りました。欧州での禅画展も行ったそうですが、当時欧州ではどのような反応があったのかも気になるところ)

 

表具の魅力

そして、どの作品も表具が美しかったです。細やかな植物の文様が織り込まれた布や翡翠のような色の布がふんだんに使われていました。

特に白隠の『布袋図』、青地に白いかすれが全面を覆う布地が使用され(貧困な語彙力で無理やりたとえるならダメージジーンズのような)、にたりと笑う布袋の表情と相まって反骨的な雰囲気があって印象的でした。

(2012年のBunkamura美術館「白隠」展のPR動画の1:55あたり、左側に表具込みでちらっと映ってます。ちょっと、いや、かなり分かりにくいですが……)

www.youtube.com

 

永青文庫のものは収蔵時に表具を仕立て直したりしているのでしょうか? どれも本当に美しいものでしたが、美術書や図録には表具はほとんど入らないので美術館ならではの醍醐味ですね。各布地の文様もきっと意味あって構成されているものだと思うので、こちらもきちんと勉強したいなと常々思うところです。

 

永青文庫は展示室自体のしつらえも美

また、永青文庫には今回初めて行ったのですが、4F~2Fそれぞれに異なる展示空間がとてもよかったです。特に4Fは展示ケースの下部に立派な長持が置かれており、武家の蔵にお邪魔させてもらった気分になりました……宝探し感というか。

また、3Fと2Fも飴色に光るどっしりした木製の什器が利用されており、永青文庫の建物がかつて旧細川侯爵家の事務所として利用されていたころから使われていたものなのかなと妄想を膨らませてしまいました(キャプション等特に無かったので想像でしかないですが……)。

3F展示室(参照先 永青文庫美術館

 

永青文庫然り、大山崎山荘美術館とか、東京都庭園美術館とか、かつて邸宅だった建物が美術館になっているところって中を歩いているだけで家具や壁紙の美しさに目を奪われて本当に楽しいですよね……

秋に永青文庫で漆芸の展示(「永青文庫漆芸コレクション かがやきの名品」展 10/8~12/11)もやるらしいので絶対行きたい……!!

 

何とか生きています

ひっそり生きていた

 

お久しぶりです。長らく放置していたものの、2年前にひっそり大学院を修了し、こっそり就職し、さっくり転職するなどしていました。

 

下記、大学院修了後すぐに書いていたものの新生活の忙しさにかまけて投稿の機会を逃し、2か月に1度くらいは思い出していたもののその場で「あああ」と思うだけでブログの下書き欄の片隅でほこりをかぶっていた文章です。ようやく日の目を見た。

 

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大学院を修了した

去る3月(※2020年のことです)、何とか大学院を修了しました。
COVID-19のあれやこれやで、講義室でソーシャル・ディスタンスを保ちつつ可及的速やかに修了証書が授与される超速セレモニー(所要時間5分)だったものの、個人的にはこれくらいのあっさりさがありがたかったです。
修論執筆は10月~12月頭にかけて力技で終わらせた、という感じでもはや記憶があまり残っておらず、極端に寝つきが悪いが目も早く覚め、5時くらいに起き出すものの頭も働かずべそべそしながら必死に論文を読んでいたな……という断片的なものしかないです。書き上げられたのは、指導教官がなるべくプレッシャーをかけずに励ましてくださったこと、友人家族が優しく接してくださったことに尽きるでしょう。
 
 
色々と書きたいことはあるのですが、詳細な記憶を思い出そうとすると現在の生活に支障をきたす、という懸念が大きすぎるので今はそっとしておきます、脳みそを。

 

就職した

現在は専攻内容とはまったく別の業界で就職しました。
こちらもCOVID-19のあれやこれやでいろいろとイレギュラーな状況の中ですが、社内の方々が手を尽くしてくださって楽しくやらせていただいています。
 
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その後

と、書いていた1年半後にさらに全く別の業界に転職し、コロナ禍も相まって未だに本社に行かないまま、今は二度目の疑似新卒をやっています。
今も相変わらず修士のころと同様プレッシャーに弱く人付き合いを忌避しひっそりこっそり生きていますが、少なくとも修論のあの頃は通り過ぎました。奮起して頑張って成長する、というよりも、岩陰で暴風雨をやり過ごすみたいなやり方でしたが。
 
あと、修士のころはとかく「読むべきものを読んでいない」という圧を感じて書店や図書館が恐ろしいとすら感じていたし、読書からも遠ざかっていたのですが、最近はまた楽しく本を読めるようになりました(もちろん娯楽としての本ばかりですが)。あと、残業代1h≒単行本1冊だと気づいたので、1時間残業したら1冊何でも買ってよいと思い込んで生きています。これは社会人になって上位5位に入るいいことかもしれません。
 
また何か、読書や展覧会のこともひっそり書いていきたいと思います。では。

修士二年目、半分過ぎつつある

なんとか休学せずにやっている。4月からの行き先も決まった。去年の私から比べたら大進歩だ。

あとはただ、年末までになんとか修士論文の体裁を整えたものをひねり出すだけ。口頭試問で「とりあえず書いたんで修了させてくださいお願いします」と頭を床に擦り付けるだけ。学部時代のいきった自分が聞いたら心底軽蔑しそうな意識の低さだ。でもいい。とりあえずやっていくしかないのだ。

進まなさ過ぎて修士2年の7月の今、指導教官にめちゃくちゃ基本的な文献を探してもらっているという情けなさだ。先生ありがとう。自分の無能さに毎日落ち込んでいるが、それは今に限ったことではなく、ただ単に今までそれを私に悟らせない優しい人々に囲まれていただけだ。それはそれで感謝しつつ、卑屈にならずに前を見ねばならない。それができずに修士1年間を棒にふったことを思えば、ちょっとずつ作業できている今はすごいと思う。願わくば12月まで同じ気持ちでいれますように。

 

 

物理的な話はもちろん、専攻すらも中学校から進学のたびにリセットされてきた私の、4月からの行き先は、一見してこれまでから最もかけ離れた専門分野だ。正直いって半年前までこういう職業があることすら知らなかった(とはいえなんだかんだ1日8時間をオフィスで過ごすいわゆる会社員なので、別に世間的に特に変わっているというわけでもないけれど)。ぶっちゃけもともと興味があったものでもない。今は修論を書きたくなさ過ぎて、就職先に関係しそうなビジネス書を漁って読んでいるが、たぶん4月になったら何もかもが分からなさ過ぎてすべてを投げ出したくなるだろう。つまり去年の4月と同じだ。

未来の自分へ。同じ失敗を繰り返す可能性は高いし、ひょっとしたら今度こそ休職に追い込まれるかもしれない。でも、たぶん4月の時点で私は少なくとも2年間、頼れる限りの人を頼って情けない思いもいっぱいして周りの人に心配をかけまくりつつも、なんとか最低限の課題をクリアした経験をもっているはずだ。その経験をなんとかクッションにして、自分でわざわざ痛みを増幅しないようにできていればいいなと思う。私はどうせ私なので、これからも些細な事で傷つき、劣等感を抱えていくのだろう。でも、傷つくたびにクッションを厚くしていくことはできるかもしれない。というかそうでもしないとやっていけないんだろうな。

というわけで、未来の私に多くは望まないけれど、とりあえず一度は落ちた底から這いあがった経験はあるのだということを覚えておいてほしい。もちろん私だけの力じゃなくて、周囲のとてもやさしい人たちに全力で甘えた結果だけれど。だからくれぐれも、すべてを投げ出さないでほしい。

 

……などと書いたけれど、とりあえずは最初のクッションの中身を作りに行かねばならない。正直今も毎日動悸はとまらんしおなかも下すし章立てもまとまらんし英語も読めんしきっついよ。でもあがけるだけあがいてみます。

近況:一応進級し、就活に足を踏み入れる

めちゃくちゃ放置していた。最後に更新したのは年末だ。

 

あれから3か月。1月は布団にくるまっていたものの、年末から処方してもらっていたセルトラリンが何とか効きはじめたのか、2月初旬に少しずつ動けるようになり、なんとか研究室のイベントもやり切った。

そしてうっかり「ひょっとしてこのままあと1年乗り切れるのでは」と勘違いし、動けるうちに動いてしまえという思いで2020年卒のふりをして就活することにした。

 

正直それは本当にただの思い込みで、今は薬のおかげで動けるようになったものの、まだ自分で動ける/動けないの制御はできていないという実感は強い。就活で連日いろんな会社に行って戻ってくると、体は疲れ切って休みたがっているものの、頭がESや面接対策でぐるぐると動くのを止められず、毎晩遅くに充電切れになるのを待って眠り込むというような日々だ。これ、4月5月までもつのかな、わからんな。

 

とりあえず今の行動が吉と出るか凶と出るかは分からない。新年度にガス欠になって布団に逆戻りかもしれないし、万一就職できても修了できるか分からないし。でも、いまはこのまま行くしかないのだ、と自分に言い聞かせて進む。