Yarn Getting Tangled

美術のこと、読書のこと、編み物のこと、大学院生から引きずっている適応障害で休職している日々のことを綴ります。

脳内の蛍光塗料

大学から、あるいはアルバイトから帰って街を歩いていると、引っ越してきた半年前から名前が変わった店などが目に入り、時の流れの速さを実感するとともに、自分の数ヶ月後が頭をよぎる。1ヶ月後、修論中間発表の準備は進んでいるだろうか。2ヶ月後、無事に発表は終わっているだろうか。3ヶ月後には今所属するゼミで企画したシンポが終わっているはずだ。

あるいは……大学院を辞め、この街にもう住んでいないか。

その未来はすぐ訪れるかもしれないし、数週間後かもしれないし、あるいは運良く迎えずに修士課程をやり過ごせるかもしれない。空白だ。息が詰まりそうになる。意識を今晩の夕食とか、そんなようなことに移そうとする。うまくいくときもあれば、最悪の未来が脳内をぐるぐるし続けることもある。ニコルソン・ベイカーの『中二階』かなにかに、夜ふと目がさえて眠れない様を「蛍光塗料が脳にぶちまけられた」と表現する一節があったような気がするけれど(本をぱらぱらとめくってみたけれど見つからないので今度また探す、久々にめくるとやっぱり素晴らしい小説だ)、ちょうどそんな感じだ。

そうやって立ち止まっている間に、月日はどんどん過ぎ去っていく。

 

そんなこんなでまたゼミの前日だ。明日はグループワークの進捗を教授に報告する日。なぜか欠席者がやたらと多く、いつもの半分のメンバーしかいないらしい。いつもよりも数倍発言を求められる機会が多くなることは予想に難くなく、輪をかけて行きたくない。またいずれきちんと記事にまとめようと思っているが、私が大学院に行きたくない原因の大部分がこうした議論が苦手で、発言することにすらしり込みし、必要に迫られて発言したところで自分の意見の拙さに落ち込むというループに陥るのが目に見えているからだ(人文系の大学院生に大変向いていない性質である)。一回欠席すれば、ずるずると一回が二回に、二回が三回になり、焦りと自責という蛍光塗料に脳内がどんどん塗りつぶされていく未来がみえるので、なんとか今まで足を引きずってゼミに行っていたが、明日はどうなるやら分からない。無事に生きていますように。